(1943~1971)
海兵隊第334戦闘機中隊”ファルコンズ”は、1960年代から厚木基地/岩国基地で米軍機を追っていた航空マニア先輩方にとっては馴染みのある部隊であった。しかし、私のように1976年から撮影を始めて新参者にしてみれば、縁のなかった飛行隊であった。何故なら1971年に解散してしまっていたからである。今回、海兵隊戦闘機部隊の写真提供でも大変お世話になった明石市在住のWhite
Bearさんから、多くの社員のご提供を頂き、解説文書まで作成頂いので、本項を新規でUPする事とした。以下はWhite Bearさんが纏められた同隊の解説文書である。
VMFA-334は1943年8月ノースカロライナ州チェリーポイントでダグラス社のSBD ドーントレス偵察爆撃飛行隊(VMSB-334)として発足し、1944年10月に一度閉隊したが、朝鮮戦争の勃発を契機に1952年フロリダ州MCAS
MIAMIでVMA-334として再スタートを切っている。部隊使用機はF6F/F4U/F9Fと転換し、再発足から2年後の1954年にジェット戦闘機FJ
フェリーを使用する戦闘機部隊VMF-334となった。1957年初頭、同隊は最初の海外展開として厚木基地に派遣され、1年以上の厚木基地駐留を経て、エルトロ海兵隊基地へ帰還し海兵隊飛行部隊として最初のF-8U-1部隊となった。1967年部隊名をVMFA-334と改め、使用機もF-4Jに更新した。1968年8月にエルトロを離れ、当時の南ベトナムのダナン空軍基地へ展開して航空支援を実施、1969年初めにはチュンライ空軍基地へ移動、同年6月には739ソティー/833.7作戦飛行時間/1569tの爆弾等投下を記録している。そして1969年6月に岩国基地駐留となり、北朝鮮沖で拿捕されたプエブロ号事件後の航空支援等で活躍している。岩国基地には1年ほど展開して、1971年3月にエルトロ基地に帰還、同年12月に部隊解散となった。(2026年3月 White
Bear さん 記)
↑ 岩国基地R/W-20に着陸するF-4J/WU-14/Bu.No.153785。少し見上げるような角度であるが、今の時代のように超望遠レンズが無い時代は、出来るだけ鮮明に機体を撮る上での基本は、短い(200~300mm)単焦レンズで機体に近づいて撮るのが王道だったのである。
↑ 岩国基地のR/W-20でセクションのままローパスをするVMFA-334のF-4J。白いレドームの機体が数機存在していたようだった。WU-9/Bu.No.155580は、どこかで見覚えのある番号だな・・・と思ったが、1978年頃VF-161/NF-110で厚木基地で飛んでいた機体であった。
↑ 迫力去る着陸シーン。こう言った少し送り気味のF-4ファントムも結構魅力的なフォルムを見せてくれるが、この時代の撮影は着陸で1枚シャッタ―が切れればよいので、真横で1枚撮るか、送り気味で撮るかはその時の撮影者の選択であった。
↑同じく岩国基地に着陸するF-4J/WU-5/Bu.No.155565。この機体は後に田宮1/32のF-4Jのデカールが用意され、多くのファントムファンがこのWU-5を作ったはずである。
↑ 岩国基地R/W-20に着陸するVMFA-334のF-4J/WU-4。1969年6月南ベトナムチュンライ基地から戻ってきた部隊は岩国に駐在が決まり、久々に平和を満喫出来たのではないだろうか。この機体は現在でもフロリダ州タイタスビルのバリアント・バトルフィールド博物館で展示されている。
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↑ 本項一連の写真は全て、White Bearさんが1969年9月岩国基地で撮影されたVMFA-334のF-4Jの写真である。岩国の旧滑走路をR/W-02で離陸するVMFA-334のF-4J/WU-01。この機体は1979年にVMFA-235/DB-162として岩国に来ている。
↑1969年ベトナムのチュンライから岩国基地へ移動してきた最初の部隊がVMFA-334で、レドームは基本的に黒で塗られた機体が主流であったが、WU-15/16等で白のままの機体も確認されている。F-4J/WU-6/Bu.No.155735
↑ 1970年写真の先輩和田和也氏が撮影されたVMFA-334の写真を参考に作成したイラストである。ファルコンが尾翼に書かれ、黄色い電光となっているマーキングは非常に珍しく海外のSNSでも取り上げられている写真。背中の部隊ナンバーは海兵隊の表示同様細字である。F-4J/WU-4/Bu.No.155563