Page-2
(1943~1992)
↑ 1979年頃のVMFA-333のF-4J/Sの塗装例で、この時期103号機など一部はS型へ変更されていた。以前に比べ尾翼のクローバーが書かれている白い帯は幅広となっていり、クローバーのサイズも大きく、ラダーに至っている。F-4S/Bu.No.153902
HOME
ベトナム戦から帰国したVMFA-333は、本拠地をMCASビューフォートに置きつつ、1975年と1976年の2回USSニミッツに搭載され、第8空母航空団(CVW-8)に組み込まれて航海に出るが、その後空母運用は無くなり、本来のテールコードである"DN"に戻ることになる。1979年から部隊にはJ型に加え、改造されたS型が加わり、1986年まで5回に渡り山口県の岩国基地にUPD派遣されている。1989年にはFA-18Aに機種更新され1989年中に1度岩国に展開した。1990年の湾岸戦争では、部隊として18年ぶりに実戦経験を受ける事になる。残念ながら、その後のソ連崩壊と連戦終了により1992年部隊は解散した。(2026年3月 記)
↑ 1985年岩国基地に4度目の展開した頃のVMFA-333のF-4Sのマーキング。1983年と同様全機S型で統一され、マーキングも完全なロービジ塗装となっていた。すでに空母艦載任務から遠ざかっており、Modexは二桁の海兵隊方式に戻っていた。F-4S/DN-02/Bu.No.155517
Wings
F-4S
F-4S/DN-02/Bu.No.155517
F-4S/DN-07/Bu.No.155829
F-4S/DN-??/Bu.No.155524
↑ 1982年11月 コロラド州バックレイ空軍基地で撮影されたVMFA-333のF-4S/Bu.No.155524。1982年にはS型全機がゴーストグレー迷彩になって、背中の部隊番号のみがライトグレーと言う後の迷彩基本形に統一されたものと推測される。
F-4S/DN-01/Bu.No.153792
↑ この写真から以降は、全てWhite Bearさんが岩国基地で撮影されたVMFA-333のF-4Sの訓練風景。
↑ White Bearさんと松野主税氏からご提供頂いた1985年夏に開催された岩国基地チビヤンでの展示機風景。VMFA-333のF-4S/DN-10の展示が珍しい!
↑ 1985年5月White Bearさんが嘉手納基地で撮影されたVMFA-333のF-4S 2機。当時は嘉手納消防署の裏手側に嘉手納基地の海軍機エリアが存在し、R/W-05の風向きの際は、着陸した戦闘機の多くが、このエコータキシーラインを使って海軍エリアに帰投していた。午前中は逆光となるが、格子のゲートの隙間から正面系のF-4ファントムなどを狙える人気の撮影ポイントだったが、真夏は地獄のような暑さに耐えねばならなかった。
F-4S/DN-04/Bu.No.155545
F-4S/DN-09/Bu.No.155854
↑ 但し、このように柵と並行するタキシーウェイに機体がのれば車輪が隠れる事が無いが、こうした情景が撮れるのは、ゆっくりタキシングしてくれても数十秒ぐらいの時間であった。
↑ 最初に通過したのは"DN-01"。撮影場所からは、脚立が無いと車輪が切れてしまうが、当時この場所で脚立を使っての撮影は基地側のセキュリティを刺激するので危険であった。
彼らVMFA-333は、この1985年の岩国展開後翌1986年にあと1回の岩国基地展開が行われ、その後FA-18Aに機種変更し、1989年1度だけFA-18Aで岩国展開している。しかしその後に発生した湾岸戦争に投入され、帰国後は解散となってしまった。
F-4S/DN-03/Bu.No.155519
F-4S/DN-10/Bu.No.155896
F-4S/DN-11/Bu.No.158341
↑ 上2間の写真もWhite Bearさんが、1985年5月に嘉手納基地で撮影されたものである。VMFA-333はF-4J/Sになって6回ほど岩国基地に展開しているが、1985年1月~7月までの6か月間の岩国派遣時に嘉手納基地へ訓練に出た際のものである。尚 1985年は彼らにとって4回目の岩国基地展開となる。11号機の右翼下にはパッケージポッドとみられる装備が懸架されている。
F-4S/DN-02/Bu.No.155517